記念事業報告 記念誌  

                                5代・五孝隆実

 

長丁場だった。経過は省略し、今後に活かす材料として(文中敬称略)。

 

【編集原案】

 小生がつくり、17代藤原規洋さんと協議補正し、2代藤井良隆さん、5代荒木茂幸さん

に目を通してもらった後、編集委員会を招集して提示。1年ほど討議して編集案を決めた。

ほとんど原案通りとなった。

 編集方針案といった、もっとアバウトな形で提出し、一から議論した方がよくなかった

かという反省はある。原案をつくった当初、「全然面白くない」との意見が出た。にもかか

わらず、「面白い」案はその後出てこなかった。成案に近いものを出されると、それに縛ら

れ、新しいものがなかなか出てこない傾向がある。後に触れる「編集委員会」にも関連す

るが、一から練り上げていく方式をとった方が編集委員会はもっと機能していたのではな

いか。

 

【編集委員会】

 実行委員会結成に先立って、月1回のペースで、メンバーを固定しない、オープンな形

で進めた。この方がいろいろな意見を反映できるとの発想からで、これはよかったと思う。

ただ、この空気をあとあとまで引きずってしまった。

 問題は実行委員会発足後。他のグループと異なり、実行委員全員が編集委員である形を

取った。少数に固定すれば、情報・視点が限られるのではないかという心配からだ。しか

し五孝から見れば、委員は掛け持ちしたグループの方に力を注いだ感じは否めない。編集

委員会を招集しても、10人以下の会合が多く、しかもメンバーも少数の例外を除いて回ご

とに異なった。ほしい情報も集まらず、論議の蓄積もままならなかった。少数でも固定し

た方がよくなかったか。

 途中である一人から個人的に「若い人たちに任した方がいい」との意見を聞かされた。

実行委員会の委託を受けている以上、個人的に言われても困る。初期の編集委員会の席で

発言してほしかったし、でできれば若い世代に任せたかったが、編集作業の繁雑さを考え

れば、とても仕事を抱える社会人が片手間にできるものではなかったと思う。

もう1人、軸になって動いてくれる人がほしかったが、かなわなかった。

 編集案が固まった時点で、項目ごとに「担当」をつけ、責任を負ってもらおうと考えた

が、この「担当」も少数を除いてあまり機能しなかった。組織づくりは難しい。

 

【記事編集】

 編集委員会発足前に2代藤井さんを介してある出版社に見積もりとともにスケジュール

を組んでもらった。式典に間に合わせるためには前年(2009年)8月末入稿というスケジ

ュールが示されたが、とてもきつく、融通が利くというので今回の上田印刷に切り替えた。

経費的な問題もあった。しかし、上田印刷が外注編集とわかり、こちらの意図が正確に外

注先に伝わらず困っていた。そこに34代吹奏楽部の徳山晃爾が現れた。彼の負担はたいへ

んなものだったろうが、彼が編集を引き受けてくれなかったら、出版が式典に間に合った

どうか、疑問だ。幸運に恵まれた綱渡りだった。ただ、その結果、負担が集中したことは

たしかだ。

 原稿の締め切りはあいまいなものである。嘘を言っていいのは首相の衆議院解散と編集

長の締切日だけ、という話もある。締切日を早くしても原稿は集まったかもしれない。2009

年8月末締め切りの線で見積もりをとった出版社に任した方がよくなかったか。

編集途中でページ数が当初予定の300ページから大きくはみ出していることが分かった。

編集委員会にかけページ数を減したが、削除した項目は未だに惜しい。とくに亡くなられ

た顧問の先生の文章は、先生方がなにを応援団総部に期待されていたかを知るうえで再録

したかった。大幅なページ数のはみ出しは、当初から出版社から玄人としての意見・指

示を受けて作業を進めておれば避けられた事態だったと思う。また、こちらの作業はもっ

と楽だったはずだ。

 

【内容】

 完成した本を見て感じたことを記せば、エポックの文章はもっと書き込まれてよかった

のではないかと思う。団誌(BRICK)から再録したものに競べれば新規に書いてもらった

ものはやはり短い。もっと読みたいと思ったテーマもかなりある。編集長として書き直し

をお願いすべきではなかったかと反省する。書き直しを打診し断られたケースもあった。

表記の修正ぐらいで、ほとんどそのまま掲載した。別の仕事を掛け持ちしていたことも

あり、こちらも息切れ状態であり、それだけに書き手に新たな負担を強いるのもはばかれ

た。新聞社時代と異なり「強権」を発動できないボランティア的制約もあった。

 

【発刊後】

 20代高橋克行さんからクレームがついた。年表1979年「応援団総部の出来事」所収の

ミシン囲みの記事についてだ。

 

バトン 見苦しき限りなり。練習不足というより練習皆無。少数といえども観客はいる。その人達に失礼な演技をすることに何の反省もなきや。

勝利の拍手 演技者の自己満足。自己陶酔は最も応援団にとっていやしむべき姿勢である。マの研究はいつまでたってもされていない

(乱舞祭パンフレットの手書きから)

「人を傷つけたり、人が大切に思っているものを踏みにじったりしてまで掲載すべきもの

だったとは到底理解できません」など手厳しいものだった。編集者とすれば、応援団総部

にとって大切なことが書かれていると判断したのだが。

へんに要約すれば高橋さんの主張を曲げるかもしれないので高橋さんの文章(二つ送ら

れてきたうちから「要約」の方)と小生の返信を添付する。

 

【今後】

 今回一番苦労したのは資料。「BRICK」は揃っていたものの、そのほかの文字資料はほ

とんどなし。その「BRICK」も5号から活動記録を掲載せず、また途中で性格が総合誌か

ら新入生案内的なものに変わったため、活動状況がほとんどつかめなかった。写真は比較

的残っていたが、いつ、どこで撮影したものかはっきりしないものが多かった。

今後は、パソコンを活用して記録し保存してほしい。

以上

 

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